第668話 ■正月の駄菓子屋

 正月3賀日なんか、あっという間に過ぎてしまう。これは毎年のことだ。とりあえず、3賀日はのんびりと過ごすのが粋である。元来正月とはそういうもので、お節料理は作り置きの食事として、その名残である。ただ3日間もだらだらとして、同じものを摘んでいては飽きてくる。これは子供のときもそうだった。しかし、子供のそわそわ感にはまた別の理由があった。そのそわそわ感はお年玉で潤った懐から沸き出しているからだ。新聞への折り込み広告でデパートやスーパーの初売りの日を確認し、その日をひたすら待ちわびた。当時は元日から営業するスーパーなど、まずなかった。

 お年玉で何を買おうか?、はさておき、もらったお金を使いたい気持ちもある。いつももらっている小遣いに比べれば、かなりの額に達している。これだけのお金があれば、いつもの駄菓子屋であれも買えて、これも買えて、店ごと買えるんじゃないか?、というほど気がでかくなっている。

 幸か不幸か、そんな子供たちの心理を見透かしてか?、最寄りの駄菓子屋は毎年元日の午後から店を開けていた。特に変わりばえするでなく、凧や羽子板などを除いて、いつもの駄菓子屋風情である。しかし、いつもとは懐具合が違うので、いつもとは別の気持ちでいられる。それでいて、ここで散財するようなことはなく、本命の高額おもちゃを買うためのお金はちゃんとキープしている。

 「元日からお金を使うと散財する」と、妙な縁起を担ぎ、我が母は私の元日からの駄菓子屋通いを戒めたものだ。悲しいかな、我が子は元旦のコンビニでそわそわしている。

(秀)