第869話 ■スペース・インベーダー(後編)

 それからしばらくはスペース・インベーダーのことなど忘れて小学生生活をエンジョイした(←死語か?)我々もそれから間もなく中学生になり、あのときのメンバーの一部は別の中学校に通うようになったりしていた。その頃には我が田舎の街もスペース・インベーダーのブームに侵略され、ゲームセンターや喫茶店では大人も100円玉をテーブルに積み上げて熱中するほどの騒ぎとなった。街で大きな部類に入る楽器屋(売っているのはほとんどレコードだが)にもスタンド方のこのゲーム機が置かれるほどとなった。あまりここでやっている人を見かけたことはないが。

 この頃はほとんどがテーブル型になっていた。ブラウン管自体は白黒だが、表のガラスまでの間に色付きガラスがはめ込まれていて、各層ごとにインベーダーが色分けされて見えるようになっている。既にこの頃には「15発目のUFOは300点」とか、インベーダーが残り少なくなると彼らの動きが速くなること、得点を重ねるとボーナスでビーム砲の数が増えることなども十分世間に知れ渡っていた。「名古屋撃ち」なる言葉もこの頃にはもう耳にしていたかもしれない。

 ブームに乗じていろいろと悪巧みをするものもいた。五円玉にセロテープを巻く、曲げた針金をコイン投入口に差し込む、電子ライターの火花で誤動作してタダでできる、などという情報も聞こえてきた。実際それでうまくいったのかどうかは知らないが、これで誰かが捕まったという話は聞かなかった。中にはゲームセンターや喫茶店からごっそりテーブル型の機械を盗み出す輩まで出た。それに、本来このスペース・インベーダーはタイトーのゲームだったが、コンピュータプログラムの著作権がまだあやふやな時期だったこともあって、偽物のゲーム機まで登場した。ある数字によると、全体の三分の一がタイトー社製で、残りは偽物だったらしい。この頃は玩具もそうだが、ヒットするとすぐに偽物が出たものだ。

 それが偽物だったのか本物だったのかは分からないが、ゲーム機は私がいつも通っていた近所の駄菓子屋にまで侵略してきた。さすがに子供相手に100円というわけにはいかず、50円だった。おばちゃんは毎日たくさんの50円玉を用意し、子供達からの両替に応じていた。チャリンチャリンと、おばちゃんにとってそれは大きな貯金箱だったに違いない。それから間もなく学校で、ゲームセンターへの出入りとインベーダーゲームの禁止令が宣告された。まあそれが原因というわけではないが、何かと熱し方が中途半端な私はそれほどこのゲームにはまることなく、一面もクリアできないままこのゲームから身を引いた。ブームの去った後は哀れだったが、その後のテレビゲーム主体のゲームセンターのあり方などに対して、このゲームが与えた影響は相当大きかったと思う。70年代の終わりを飾るにふさわしい花火だった。

(秀)