第871話 ■マイ・シャローナ

 小学生のときは、やれピンクレディだ、アリスだ、ゴダイゴだ、などとはしゃいでいた我々も、中学校に進んだ頃からクラスの中のませた連中から洋楽の話がもたらされるようになった。だいたいこのませた連中というのはお兄ちゃんやお姉ちゃんを兄弟に持つ場合が多い。彼らには洋楽こそ格好良く、歌謡曲に浮かれている連中が幼く見えたのものだろう。

 かと言ってそのとき既に、ビートルズはなく、ディープ・パープル(後に再結成したけど)もレッド・ツェッペリンもなく、ジミ・ヘンドリックスは既に死んでいた。当時既にこれらは古典ロックの感があった。アメリカやイギリスでその当時どんな音楽が流行っていたのか知る由もないが、ちょうど聞き始めたFMラジオから「マイ・シャローナ」という曲が盛んに流れていた。歌っているのは「ザ・ナック」というグループだった。

 年の離れた兄がいたために、我が家には大きなステレオがあった。そして、良く分からない洋楽のレコードもたくさんあった。姉がそのいくつかをよく掛けていたため、小さいときから私はその音を耳にしているわけで、「サイモン&ガーファンクル」はリアルタイムで聞いていたかも知れない。しかし、それらは私が能動的に求めて聞いていたわけではない。よって私の洋楽体験はこの「マイ・シャローナ」によって始まったと言える。単調なあのリズムならこそ、頭について離れない。

 この他には「ラジオスターの悲劇」という曲がそのあとに流行った。これまた、耳につく、むしろきわものと言うべき曲だった。それに、アース・ウィンド&ファイヤー、アバ、ノーランズ、アラベスク、などなど。ちょっと記憶が曖昧で、時期的に少しずれていたら失礼。アース・ウィンド&ファイヤーなどのリバイバルで流行ったダンスナンバーもリアルタイムに聞いた世代ではあるが、中学生で踊りにいける程の年ではなかった。ビージーズもしかり。

 やがて私が高校に進んだ頃に、マイケル・ジャクソンが流行る。ようやく田舎でもビデオクリップを放送する番組が流れるようになった。少年(秀)はジャーニーやTOTOといったアメリカンロックにはまっていった。

(秀)