第916話 ■コラム初め

 とりあえず、請い願うことなどなくても新しい年はやってくる。そして、あっと言う間にその何日かが過ぎてしまった。1月1日というのは数字の座りも良く、それだけで気持ち良いが、気が付いたら2日になって、3日目もやって来ていた。同様に締め切りも勝手にやってくる。そしてメルマガも勝手にやってくるが、そのために私はせかせかと指を動かしている。

 明けましておめでとうございます。
 今年はカレンダー様のご配慮(と言いつつ、あの紙切れが偉いわけでもなんでもないが)で、世間的にも例年になく長い年末年始の休暇となった。今さら「おめでとう」もなかろうが、とりあえず今年最初のコラムということで。一旦再開すればこのような休暇は取れないと思い、ずるずると年明けからコラムを休んでいたが、今日より再開である。

 ところで、今年の正月は昨年の年末同様、「らしくない」ものだった。まあ、色々と原因は考えられるのだが、テレビで毎年恒例の演芸を目にしなかったこともその要素の一つであろう。実際はテレビに出ていたのかもしれないが、あいにく未確認である。吉本の若手芸人が大挙出ていたのを確認して、チャンネルを替えた。海老一染之助師匠は服喪中のため自粛したのか?。玉川カルテットはどうした?、ちゃっきり娘は?。

 球児・好児なんか随分昔から「ゲロゲーロ」と同じネタをやっている。「こっちでオスガエルがゲロゲーロ」、「こっちでメスガエルがゲロゲロ」、「何千、何万というカエルが鳴いてんだよ」。これに対して、「メスガエルは鳴かねえんだよ」というのがオチ。

 もはやオチが面白いわけではない。その一生懸命さやくだらなさがおかしいのだ。こんな演芸番組が正月らしさをかもし出すのは、それらが長い間変わらない点にある。毎年決まったパターンのオチと分かっていながら、そこに「正月」という意識が刷り込まれ、電波に乗って多くの人々に届く。今度の年末年始はベタなほど昔のままの雰囲気で過ごしてやろうと、年明け早々でありながら、350数日後のことに既に思いを馳せている、コラム初めの今日である。今年もよろしく。

(秀)