第963話 ■転換期の季節

 私が大学を卒業したのは平成元年だから間もなく14年経つ。その4月に就職し、そのときは地元の支店勤務になるものだと高を括っていたが、東京での3ヶ月の研修期間を過ぎても帰れる気配はなく、気が付けば神奈川、東京、千葉と移り住み、現在に至る。この間、何度か帰省し、かつての友達と顔を会わせたりしてるが、その度に色々と考えることがある。

 例えば同窓会で顔を会わせた友達と名刺の交換をする。名刺を持たない職業の連中が意外に多いのに驚く。学校の先生なんてそうらしい。たとえ名刺を持っていても持ち歩くことはないと言う。「お前が先生か?」と驚くこともある。「お前になんかうちの子供は任せられない」という声が出たり、その一方で、自分の娘の担任の先生が元のクラスメイトという例もあったりした。

 いろいろな事情で故郷を離れられずに暮らしている友達もいる。もっと良い大学に行けただろうし、もっと良いところに就職できただろうに。成績優秀だった彼が名もない小さな会社で働いている。そうじゃなければ、地方公務員になっている。学校の先生となった比率は平均よりも相当高いと思われる。見栄というものがあって、負い目を感じるようになってくると同窓会など出づらくなってくる。

 一方女性はある意味男性よりも変化はドラスティックかもしれない。結婚する相手で人生大きく変わる。本人の努力などとは別の力によって着ているものや持ち物にも差が出る。ふと、幸せとは何だろうと思ったりする。あいつと俺はどっちが幸せかという不毛なことを考えたりする。負けたところであいつと替われるわけでもなく、恨んだりねたんだりしたところで自分の幸せが増すことなどない。むしろ心が虚しくなるばかりだ。勝ったところでもそのいやらしさが同じく虚しい。だから不毛だ。

 何が幸せかを考えることは哲学的には有効なことだと思うが、その最終判断は個人の価値観に大きく依存している。少なくとも他人の幸せが自分の不幸であったり、他人の不幸が自分の幸せだと思うことはよそう。間もなく多くの人が新しいことを始める時期を迎える。人生なんて偶然の連続。けどそれぞれのタイミングでの選択が大事なんだよ、とこの時期を迎えると毎年思う。

(秀)