第2019話 ■「秀コラムの日」に思うこと

 今日は「秀コラムの日」である。21年前の今日、秀コラムをスタートさせた。途中での終了宣言や長い停滞期を経ながらもこの21年間に、今号で2019話の雑文を書いてきた。この日に改めて継続の意志を表明するとともに、そのための予定稿の用意もしていたが、書き改めることにした。

 世はまさに新型コロナウイルスとの戦いの渦中で、SNSなどには様々な発言が投稿されている。私が秀コラムを書き始め、Webサイトでリリースするようになった当初との変化を振り返ると、ブログやSNSによって、技術的な条件を課さずとも個々人が自由に発言するツールが普及した。

 実はこのことが、秀コラムを中止したり、終了しようとも思い立った原因でもある。誰でも発言できるようになって、希少価値がなくなったからではない。自分はそれまで、いろいろと独自の考えを、多くはそれに対する批判的な立場から展開していた。当初はあまり気にしていなかったものの、世に多くの人の意見が公開される時代となり、その批判的な情報の多さにショックを受けた。一億総批判時代到来か?!。あまりにもネガティブな情報がネットに蔓延しているのは、決して良いことではないと考えた。そして自分の表現、文章に迷いが生じた。

 ある程度の批判は必要である。できれば、建設的な批判が良い。しかし、ネットに溢れている情報はそうでないネガティブな情報の方が多いように感じる。言葉は悪いが、憂さ晴らしの会話程度のことが活字となって、画面に表示されている。

 ここ数日は、新型コロナウイルスに関する揚げ足取りとも思える情報が増えている。個人だけでなく、テレビのワイドショーなどもそうだ。私は内容の委細はさておき、責任ある立場の人が職責を賭して決断をしたことには、協力したい。まずは命が最優先だから。「遅い」「足りない」「不完全」など、言うよりも事態改善のためにエネルギーを使ってはどうか。もっとみんなが前向きになれるようなメッセージをみんなで送りあえないものだろうか?。

 また、批判的なことを書いてしまったが、批判的ながらも(常に)前向きな雑文をこれからも書いていこうと思う。

(秀)