第2037話 ■学校の9月始業案について
コロナウイルス騒ぎの最中、学校は休校が続いたままなので、いっそこのままで夏休み明けの9月を新学年のスタートにしてはどうかと言う意見がにわかに吹き出した。世の中の人の意識がどうかは分からないが、情報量としては、「9月始業」案を支持する意見の方が多く紹介されている。但し、当案件主管の文部科学大臣は早急な変更には否定的な考えを示している。
積極派の理由の中心は、このタイミングがグローバルスタンダードだということで、今のままでは、留学(出て行く方も入ってくる方も)や海外の企業への就職で不利益があることと、受験などの時期がインフルエンザの流行期と重なるので回避したいというもの。後者に対しては私も賛同するが、前者の影響を今現在受けている人の比率を考えると、この部分でのメリットは限定的にしか思えない。一方の反対派の主軸は、今はコロナウイルス騒ぎの収束に専念すべきで、そのような検討を行っている時期ではない、ということと、これを変えることは結構大変だということ。後者は文科大臣もそう言っている。
今あるものには、その是非やべき論はさておき、それが存在しているだけで、その存在すべき理由があると私は常に考えている。その理由を精査することから検討を開始しなければ、新たな考えは単なる思い付きのままにとどまってしまいがち(実際に、思い付きなだけのことも実に多い)。そういう意味で、お互いの意見、特に変更したい側の意見はまだ十分に練られていない。何かを一気に変えるには、相当のエネルギーを必要とする。それが不足した状態では現状が維持される傾向にある。それだけが、その存在を続ける理由の場合もある。これを個人レベルに置き換えると「面倒くさい」と、同じことを繰り返している毎日の例。
最後は、両方のメリット、デメリットと解決すべき問題点、そのために必要となるエネルギー(コストも含む)等を勘案して決めるべきで、それらの材料を誰が用意すべきかは分からないが、もっと広く議論を行う必要がある。もちろん、その上で、なぜ現在の新学年が4月スタートなのかも知っておく必要があろう。私もチコちゃんに教えてもらった。明治政府の財政上のやりくりがその理由。詳しくは、ボーっとしてないで、各自で調べて欲しい。
テレビのニュースで、9月始業をテーマに、子どもたちがテレビ会議で討論を行った、と報じていた。その中で一人、とても興味深いことを問題提起していた。「僕は4月生まれだけど、学年はどうなるのかな?」と。9月生まれから翌年の8月生まれまでが同一学年となるのか?。グローバルスタンダードと言うからには、外国の例を引けばすぐにわかりそうだが、とっさに聞かれるとわからない。しかし、早急に移行したい人の考えでは、今の学年の誕生日の枠を崩すわけにいかないだろう。要はこんな感じで、広く検討した方が良い。「前広に」ってこういうことかな?。
(秀)
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