第2044話 ■優先順位と判断

 人生はすべて、優先順位に基づく選択の連続でできている。決して、イエスかノーかと言った二元論的な選択ばかりではない。例えば、「ダイエットしたいか?」と問われて、イエスと答える人は多いだろう。何とか運動したり、食べるものを減らしたりと努力をしたとしよう。あるいは思っただけで何もしなかったとしよう。後者の方がわかりやすいので、先にこっちを解説すると、「ダイエットしたい」という思いの優先順位が明らかに低いから、思うだけで何もせず、成果が出ない。前者のように何らかの努力をしながらも成果が出ないのは、上位の優先順位に「おいしいものは食べたい」という項目があったりしないか?、または努力の優先順位がまだ低いレベルなのかもしれない。

 よくアンケートで、「そう思う」「そう思わない」という二者択一方式の回答のものがあって、その集計結果を目にすることがあるが、それがどれほど実情を反映しているか疑問に思うことがある。例えば、「新型コロナウイルスの影響で、大学を辞めようと思ったことがある人が何パーセント」、などという数字がリアルな結果となることはまずない。「会社を辞めよう」と思ったことがない人なんか、ほぼ皆無だろう。自殺を考えたことのある人がみんな実行していたら、地球上の人間はほとんどいなくなってしまっている。いずれも、優先順位により、思っただけのことと実際の結果は大きく異なる。

 二元論的に答えを迫られると不幸なことにもなりかねない。不安を煽ったり、行動を起こさないことを攻撃したりする。「お金欲しいですよね?!」「もうやるしかないでしょう!」とか。「無料!」っていうのもどこかおかしい。誰だって幸せになりたいし、お金も欲しい。けど、そのやり方じゃないような気がする。総論賛成、各論反対。

 明らかなノーではないものの、相手からイエスの答が引き出せない場合、あるいは積極的でないイエスの場合、その多くはその人の優先順位が理由だと思う。そこで積極的なイエスになるような説得はあまり効果がないというのが私の経験則だ。理由をつきつめて、それを個々に解決していこうにも、新たな理由を持ち出されて先に進まない。そもそもそのようなやり方には好意を持たれないことが多い。セールスマンならなおさらのこと、親友でも嫌だ。そのような場合は、優先順位の組み替えが可能かを探るようにしているが、これまたなかなか難しい。

 自分は基本的に、イエスを前提で生きているから性分だから、世の中欲しい物に溢れている。もちろん、買えるもんなんか限られている。読みたい本なんてのもたくさんあるし、買ったものの積んだままになっている本も多い。実際はイエス、ノーの判断よりも優先順位を考えるための思考の時間が多いような気がする。まあ、優先順位の低いイエスなんて、ノーとあまり変わらないかもしれないが、思いの差は意外と大きい。

(秀)