第2068話 ■テレビ、ネットへの敗北

 亡父は何かとテレビに対して文句を言う人だった。嫌いな芸能人が出ていると、「変えろ、消せ!」と言う。リモコンなどない時代だから、その操作は私に命じられる。テレビを面白い箱として全肯定していた私には、このときの父の思考が分からなかったが、最近になって何となくその嫌悪の判断基準が分かって来たような気がする。ただし、共感とか納得のいくものでは到底ない。

 テレビは新しい情報などを常にもたらしてくれるものだったので、とてもおもしろい箱だった。しかし次第に新鮮さが失われていく。別にこれはテレビのコンテンツに限った話ではなく、人は歳を重ねていくことで、初めての体験が少なくなっていき、そのせいで時間の経過を早く感じるのらしい。

 今のテレビにこれまでになかった新鮮なものを期待するのは無理かもしれない。ほぼ考えられそうなものは出尽くしてしまっているのではなかろうか。以前、テレビが面白くなくなった理由として、テレビ局に就職するような人は猛勉強のために、テレビなど見ることなく、成長期を過ごすから、面白いテレビ(番組)なんか作れるはずがない、と私は断じてきた。そこに新たな要因をこれから付加したい。

 それは、人々がネットなどを通じてテレビ等に対する不満を軽い気持ちでぶちまけるようになったからだ。冒頭の我が父のように、不満があれば見なければ良いし、チャンネルを変えるかテレビを消すかすれば良い。わざわざテレビ局に電話を掛けて何か不満をぶちまける程のことではない。テレビの内容について、不満を持つ人が昨今急に増えたわけではなかろうが、そのような人々がSNSをはじめ、ネットで不満を手軽にぶちまける手段を手に入れてしまったのだ。

 重箱の隅をつついたような、まさに揚げ足取りな「正論(風)」が吐き出される。極一部の少人数だろうが、声が大きい。それを回避したければ、無難なコンテンツを作っていくしかない。結局、ネットがテレビを面白くなくしてしまった。ネットにテレビが敗北した様体だ。

(秀)