第109話 ■コラム道

 さあ、今回のタイトルを3回声に出して読んでみよう。「コラム道、コラム道、コラム道」。なんか織田無道みたいだろう。

 今回「秀コラム」をWebで公開するにあたり、他にWebではどのようなコラムが公開されているかを調べてみた。その結果、手前味噌で恐縮だが、「秀コラム」の出来はなかなか良い線いっているような気がしてきて、自信を深めている。「コラム」というワードで検索した結果で、早速そのサイトを見に行ったが、コラムとは名ばかりで、日記の様に出来事の羅列であったり、主張がよく分からないものが大多数といった状況である。

 私が文章を読む上で、3つのポイントでその文章を評価している。そのことは逆にコラムなどの文章を書く場合のポイントでもある。まず1つは、読み手に対して何らかの新しい要素が含まれているかということである。そもそもこれは知的好奇心の原点である。何ら新しい要素のないものを読んで(読まされて)読み手が満足することは稀である。2点目は文章の構成が緻密で、かつ展開が論理的である、ことだ。いかに奇抜な主張があっても、その具体的な裏付けがなされていなかったり、論理展開に矛盾や飛躍がある内容は説得性や信憑性を欠くからである。週刊誌の記事などはその信憑性を検証しながら、疑いながら読むことにしている。そして、第3は文章の表現力である。難しい技巧的な表現を多用するよりは読みやすさが重要だと思う。その読みやすさとは、ずばり、文章のリズム感である。文章をすらすらと読めるかどうかは、内容の難しさよりはリズム感による影響の方が大きいと思っている。

 「秀コラム」は他からの情報の聞きかじりで書くようなことはしない。話の前振りとして使用する場合もあるが、全体的には自分の原体験との関わりに基づいて書いている。私は誰にでも書けるようなコラムを敢えて書き続ける気は毛頭ない。だから「秀コラム」という名前なのである。ところで、今日のコラムどう?(「コラム道」?)