第1103話 ■「砂の器」2004

 ドラマ「砂の器」が始まった。原作は松本清張の同名の小説で過去に映画にもなっている。この原作は読んだことないが、映画の方は見た。それも買ったまましまっていたビデオCDをドラマの初回の放送の後に一気に見てしまった。これで全ての謎は分かった。あまり詳しく書くとネタばれになるので、とりあえずドラマ初回の内容で話を続けるが、もしビデオに録った状態でまだ見ていない人はそれを見てからこの先を読んだほうが良いかも。

 ドラマは初回で中居正広演じる天才ピアニスト和賀英良が赤井英和演じる三木謙一を殺害する。ドラマを見ただけではこの三木謙一が何者か分からない。映画では和賀(加藤剛が演じている)が三木(緒方拳が演じている)を殺害する直接的なシーンはないし、和賀が三木殺しの犯人であることはストーリー的には最後の方まで分からないようになっている。けど、ドラマの方を先に見てしまったので、映画の方の犯人も分かってしまった。この後、コロンボか古畑任三郎が出てきて謎を解くとでも言うのか?。

 映画を知る上で幾つかドラマのストーリー展開に無理を感じる部分がある。まず、三木が和賀を探し出せた理由がわからない。映画では写真で見た、顔の傷ということになっているが、ドラマではこの証拠の傷が腕の傷に置き換えられている。名前も変わった人物を腕の傷を手掛かりに探し出せるものではない。

 また、ドラマの方は新たに時代設定を2004年にもってきている。このため、当初の原作のままでは時代設定との関係から無理が生じる点がある。まず、秀夫(ドラマでは秀夫だが、原作・映画では秀雄)が和賀英良になり得た理由。ドラマでは時代設定からいって、原作通りにはいかない。どういうストーリー展開にするのか?。

 それと回想シーンとして流れる旅姿の父子二人連れ。これはかつての秀夫とその父親の姿であるが、何ゆえこの二人が旅を続けるかの理由は、原作では社会的な差別を背景にしていた。それをドラマで再現するつもりだろうか?。30年前にも同様の差別が社会に存在していたかどうか分からないが、差別をドラマで流すには何かと難しい時世であるのは確かだ。

 ドラマ放送開始直後であるため、ネタばれになることを避けて書くのは難しかった。いずれまた、ドラマでのストーリー展開を追いながら掘り下げてみたいと思う。

(秀)