第1411話 ■正月らしさの沙汰しだい

 あけましておめでとうございます。2008年、秀コラム9回目の新年だ。仕事始めに合わせていると今年はゆっくりしたスタートとなってしまうので、例年より早いが、コラム始めである。今年もご愛読の程、宜しくおねがいします。

 今回の年末年始は誰が尋ねて来るでもなく、誰かを尋ねて行くでもなく、のんびりとテレビだけを楽しみに過ごすこととなった。私の予想では史上最低の紅白歌合戦になるはずだったが、ちょっと外れて、視聴率的にはワースト2位だった。私も見るつもりはなかったものの、私的に裏番組があまりにもつまらなかったので、結局紅白をつけたままにしてしまった。年明けにあんなにお笑い番組をたれ流すくらいなら、そのいくらかを大晦日に仕向けてくれたらと思う。

 さて。明けて新年。寝正月とはよく言ったもんで、だらりだらりとして、3賀日はあっと言う間に終わってしまった。毎年最初に書いたコラムを読み返してみると、「正月らしさががなくなった」だの書いていて、その傾向はますます強くなっている。

 まず、和服の女性が減った。初詣に帝釈天まで出掛けたが、見かけた記憶がない。テレビで局アナか、仕込みの観客の和服姿しか見ていない。貴重な収入源であったであろう、着付けや髪結いの美容室は年々大変なことになっているだろう。続いて見かけなくなったものに、自動車の〆飾り。近所の駐車場で唯一、1台だけ発見できた。加えて、いろいろと電飾などでクリスマスに飾りつける割には、どこも玄関先の飾りは質素である。

 何やら、おせちのない家庭も2割あるそうで、こればかりは他人事ではなく、わが家では元旦分のみの実に中途半端な料理が出てきた。おせちらしいアイテムはいくつかあるものの、鯛の尾頭の塩焼きがなかった。

 結局のところ、じわじわと毎年かつての正月らしさがなくなっていくことは誰にも止められない。それでも初詣の参拝者は減少しないし、お年玉も残ることだろう。これらの共通点として、直接、お金である部分だけが正月らしさとして残るようだ。

(秀)