第1810話 ■電子書籍だくだく

 雑誌の「書斎」特集記事なんかに出てくる著名人や作家人の書斎の写真を見るのが好きだ。おびただしい蔵書の数。おそらくそれが全てではなかろうと思うが、立派な書棚にたくさんの本が並んでいて、けどある人はそこに収まりきらずに、平積みになった本もある。きっと収納スペースに悩まされながらも、捨てるに捨てられない本の数々が書棚にささっている。パッと見だけでも普通の人が一生の間に読みきれる本の量を遥かに凌駕している。

 ある種、読書を生業の一部のために必要として本を読んでいる人を除き、一般的に趣味として読書を楽しんでいる人を見た場合、本の収納スペースや読むための空間のために大量の金を投資することはできない。そもそも本代を捻出するのさえ大変なのだから。読み終えた本をきちんと本棚に並べて、しかも作家別に集めたりして、ある種の満足感を感じている人もいることだろう。

 しかし、私は蔵書の置き場に困って、自炊によりこれらを電子データで保管する方法に数年前から移行した。背表紙を断裁機でカットし、バラバラになった本をスキャナーで読み込んではPDFファイルに変換しておく(これを自炊と呼ぶ)。バラバラになった本は未練なくゴミ箱へ。お陰で蔵書のうちの約600冊をPDFファイル化した。全ての本をバラバラにして、PDFファイル化するつもりではないが、ようやく予定の約半分の処理が終わった感じかと思う。

 さて、電子データになった蔵書はそのスペースを圧倒的に圧縮して、手のひらに載るほどコンパクトになって、本を置くスペースを大幅にカットできた。次の課題は、この電子データを宅内はもちろんのこと、外出先からも自在にファイルを取り出して、いつでも読める環境を実現することだ。あいにく、ファイルサイズがでかいので、スマホの電話回線でダウンロードするのは現実的でない。しょうがないので、今は蔵書データの中から、100冊程度をマイクロSDのメモリーカードに入れて持ち歩いている。手のひらどころか、指先に載るほどのコンパクトさである。数年すると、メモリーカードの容量も増えて、蔵書データの全てが指先に載る日が来るかもしれない。通信回線の高速化よりもこっちの方が早いような気がする。

 書斎の本棚にズラリと並んだ本を見て、悦に入るなんてことはできない。しかしパソコンの中に本棚を再現することはできる。出来ればそれは小さなタブレット端末の画面ではなく、大画面のテレビが相応しいだろうし、できることならビデオプロジェクターで壁に実物大の本棚で映し出せたら、もっと面白いだろう。落語に「だくだく」という噺がある。貧乏で家財道具が買えないので、壁に紙を貼って絵を描くという噺である。まさに、「電子書籍だくだく」みたいな噺。

(秀)