第406話 ■忠臣蔵の日
「おのおの方、討入りでござる」。今年もまた、この日を迎えた。昨年は大河ドラマが「元禄繚乱」と忠臣蔵ネタのため、久しぶりの忠臣蔵イヤーとして、多くの本が出されたり、この日の前後にかつての忠臣蔵映画がテレビ放送(BSだったりするけど)されていたのに比べると、さすがに今年は静かである。まあ、二年後は討ち入り300周年として盛り上がることだろう。実は数日前まで討入りの日のことを忘れていて、慌てて読んでいなかった忠臣蔵本を読み始めた。
「忠臣蔵」には様々なタイプがあるが、その一つに学術的な観点からできる限り史実を積み上げて、リアルな忠臣蔵を再構成しようというものがある。しかし、よくよくそのリアルな忠臣蔵というのは、ドラマとしては華のないものになってしまう。しんしんと雪が積もる中、吉良邸に向かう浪士達。このとき、まさに雪の降る中、彼らが吉良邸にたどり着くという映画のシーンを見た覚えがある。確かに前日降った雪がその日も積もっていたのは確かなようだが、当日の夜には雪は降らなかったらしい。しかし、映像的には雪が降っていた方が雰囲気は盛り上がる。衣装も不格好で、太鼓ではなく
真実は一つでしかないにも関わらず、様々な解釈により多くのストーリーやドラマ(映画)が作られている。そこには前述のような明らかな創作、脚色によるものがある。しかし、多くの文献などによってリアルに再構成しようとも、肝心な部分が謎であるのも事実である。その最たるものが、そもそもの発端にあたる、松の廊下での刃傷沙汰の原因である。内匠頭の遺言にある、「兼ねては知らせおくべく存ぜしも、その
「真実はどれか?」という関心が人々にあるのは確かだろうが、それ以上に華のあるストーリーを多くの人は好んでいることだろう。私が数日前から読み始めた、「裏返し忠臣蔵」というその話は創作をウリにした内容である。吉良上野介は双子で浅野家の先代当主との間にかつての遺恨があり、それを浅野内匠頭が言い聞かされ、引き継いだという、かなり飛躍した設定となっていた。まともに読んでいたら、討ち入りの日に討ち入りのシーンまでたどり着きそうもないので、途中読み飛ばしている。今夜その部分を読むか?。いや、今日はNHK BSで映画「忠臣蔵」を見るとしよう。
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