第667話 ■駅伝魂

 正月の「東京箱根間往復大学駅伝競走」は毎年恒例の行事であり、テレビ中継されているのも十分承知しているのだが、テレビの前でじっくりとまで見てしまうようなことはこれまでなかった。しかし、ビデオ予約の合間に目にしたシーンをきっかけに改めて見てみると、そこには劇的なドラマが繰り広げられていた。

 私が今回もっとも注目したいのは、第2区での法政大学、徳本選手の途中棄権である。彼は学生長距離界のエースとして注目されている選手である。その彼が2区の7キロ過ぎのところで、肉離れにより途中棄権した。これは箱根駅伝史上、最短の棄権記録である。苦渋の表情で集団から離れながらも走り続け、監督の制止を拒み走り続けようとしたが、最終的には監督に抱き止められて、彼は崩れ落ち、拒みながらも抱きかかえて、救護車に乗せられてしまった。その後も法政大学の選手は走り続けたが、彼らは「記録なし」のオープン参加でしかない。

 駅伝はマラソンとは違う。マラソンでの故障や不具合は、とりあえず自己の責任で完結する。国民の期待やチームや監督への迷惑というものがあろうと、やはり個人の判断である。ところが駅伝で棄権してしまうと、チームの他の選手にも直接的に迷惑がかかってしまう。チームプレイの多くは試合中に選手が故障すれば途中で選手を交代させ、試合は継続される。野球もサッカーもそうだ。

 駅伝はそれぞれのシーンでは個人戦の形態を取っている。ある選手が走っている間、ほかの人はその選手に手を貸すことができない。しかしながら、勝負は団体戦である。個人戦でありながら団体戦。徳本選手が見せた涙は個人スポーツの選手が見せたものとは違い、チームへの責任、襷(タスキ)を繋ぐことができなかったことへの涙だったはず。

 勝負に勝つことが目標であろうが、その一方で負ける上で、襷を繋げないことへの屈辱やプレッシャーも相当なものだろう。箱根駅伝には前走者が規定時間以内に中継地点にたどり着かない場合は主催者側が用意した白い襷をして、次走者をスタートさせる、「繰り上げスタート」というルールがある。単に襷をリレーするレースでありながらも、彼らの駅伝魂を感じずにはいられない。明日は復路。

(秀)