第719話 ■3回に1回

 会社の帰り、駅でK.Kobayashiに会った。別に彼はジャズボーカリスト(第653話「クリスマス気分」参照)ではない。たまたま苗字と名前のイニシャルが同じというだけの、私と同期入社の自称「お気楽サラリーマン」(独身)だ。「秀コラム、あれ読んでるけど、3回に1回ぐらいしか面白くないぞ」との挨拶である。「ほっとけ、それだけ面白きゃ十分だろ」と答える。書いてる本人としても、毎回毎回面白いという読者がいたら気味が悪い。そのくせ、「土日も書け」と無茶な注文をしてくる。

 書いている本人としても毎回面白いと思ってリリースしているわけではない。別に手を抜いているわけではないが、悲しいかな、そうそう面白い話ばかり書けるわけではない。しかし、読者の反応は様々で、そんな話の回でも喜んでくれる人がいたりする。シングル曲ばっかり集めたベスト盤も良いが、オリジナルアルバムの中にも名曲があるのも忘れてはならない。

 例えば、平日毎日と欲張らずに週3話とか、週刊にして品質の向上を目指すのも手かもしれないが、面白い話が出てくる割合は今とあまり変わらないような気がする。月刊誌が週刊誌よりも面白いわけではない。「天声人語」が毎日楽しいか?。「コボちゃん」が面白くない日もあるだろう?。「あれ?、今日『コボちゃん』載ってないぞ?」と言うよりも「今日の『コボちゃん』はちょっと面白くなかった」と言うのが読者の心理としては穏やかだと思う。

 「今日は満足のいくスープができなかったので休みます」というラーメン屋が実在するのかどうかは知らないが、「面白い文章が書けないので今日の『天声人語』は休みます」というのは聞いたことがない。確かに毎日満足のいくスープを作って、美味いラーメンを出し続けるのは大変なことだろう。しかしラーメン屋は毎日毎日新しい味のラーメンを作っているわけではない。一方、毎日コラムを書くということは、新しいものを毎日毎日作り出すことである。大変だが、それだから、書いていても楽しい。

 夕飯を食いながら思う。毎日同じものを作るわけにはいかないので大変だろう、と。「今日(の夕飯)何にしようか?」と「今日何を書こうか?」とどっちが大変なのだろうか?。毎回毎回美味いものばかりというわけではない。かと言って、夕食がないのはつらい。私のコラムもそう思ってもらえるようになりたい。せめて3回に1回は美味いものが食いたい。

(秀)