第958話 ■賃闘なき労働組合

 例年なら今頃、春闘の時期で私が勤めている会社でも賃金闘争の最中で、読むかどうかは別として、連日の如く労働組合からのビラが撒かれていた。ところが昨年から賃金体系が大きく見直され、賃闘がなくなってしまった。いわゆる成果主義・実力主義という奴で、私ぐらいの年齢層から自動的に賃金が増える、定期昇給が実質的になくなってしまっている。

 新聞には従来のように、「某社が妥結した」と報じる一方で、「某社が定期昇給を廃止した」、「賃金体系を改めた」などの記事がこの時期には目に付く。成果主義・実力主義の賃金体系というのは賃金の全体額を抑えたいというのが経営側から見た、第一義的な目的であることは違いない。そして二次的な目的にようやく私も気がついた。それは労働者を分断することである。今時分、団結なんてこともなかろうが、これまで労働者が団結する最も大きな拠り所だった賃闘がなくなるということは労働運動においては非常に大きな意味を持っている。団結どころか、お互いを競い合わせ、(あるときは足を引っ張り合い、蹴落としながら、)それぞれを分断させる結果となる。

 こういう形で労働運動はますます衰退していく。賃闘という最も華々しい活躍の場を失ってしまった労働組合はどうなるか?。卑近な例では「生きがい」なんて臭い台詞を吐いてくる。仕事が生きがい、会社が生きがいという人はまだまだ世間にはたくさんいることだろう。しかしその人たちのこの生きがいは組合から与えられたり、支援される形で得たものではないはず。

 組合がどんな生きがいを押し売りしようというのか?。とりあえず、コラムのネタは提供してくれたことになるが、そのために私が支払っている組合費はそんなもんではペイできない。

(秀)