第997話 ■老人文化の今後

 大雑把に「老人文化」と言ってしまうと甚だ乱暴な話だが、仮に30年後、この文化は果たして現存しているのであろうか?。それは例えば、演歌であり、浪曲であり、歌舞伎であり、芝居に、寄席演芸などである。それに水戸黄門をはじめとする時代劇。老人層だけでなくともコアなファン層が存在してはいるだろうが、それは少数派であろう。その少数派だけでは需要と供給のバランスが保たれず、衰退してしまう。

 今の老人達も昔から老人だったわけではない。およそ30年程前は今の私と同じぐらいの年齢だったはず。果たしてその頃から彼らはこのような趣味趣向を持っていたのか?。その辺は良く分からない。しかし、例えば30年後の私が今の老人達が支持している趣味趣向にあった老人になるとは到底思えない。例えばジジイになってもロックやラップを聞いていると思う。

 昔は娯楽の間口が狭かったので、芝居や演芸に接する機会も多かったろう。それが面白かったら、それからも支持したであろう。今の老人文化はだいたいこんな感じで形成されていったのではなかろうか?。しかし、次第にその機会は狭められ、若年層がそれに触れる可能性もますます小さくなった。例えば浪曲。これは間違いなく廃れるだろう。伝統芸能として、能や狂言のように生き延びるしかなかろう。

 演歌。これは微妙。ひとり、氷川きよしだけが老体に鞭打ち、気を吐いているかもしれない。落語。そもそも落語家へのなり手が減少するのではなかろうか?。時代劇。今のような勧善懲悪の単純な構成でなく、しかも、一話完結でない、1クールの連続ものになるかもしれない。恋愛ネタが出たり、サスペンス仕立てになっているかもしれない。「黄門様は見た!」、なんてシリーズか。まあ、私はそんなジジイになっていないつもりだから、どうでも良いけどね。

(秀)