第2018話 ■志村けんさんの訃報に接し

 2020年3月29日、志村けんさんが新型コロナウイルスによる肺炎で、亡くなった。ウイルスに感染して入院中、と報道されたのは、約1週間くらい前だったか?。70歳という年齢は、それほど高齢とは思えないが、既往症があったり、喫煙と飲酒が免疫力を低下させていたのだろう。

 手元に、「8時だョ!全員集合伝説」という本がある。以前にもこの本を使って原稿を書いたような記憶がある。この本の筆者は当番組プロデューサーである。記憶を確認し、正確さを求めるような場合は、このような資料が欠かせない。

 志村けんさんがドリフターズの正式メンバーとして、この番組に登場したのは、1973年12月8日の放送回からと記されている。このとき自分は小学1年生だった。荒井注さんの後継メンバーとしての加入であったが、ポジションは全く違っていた。これまでの加藤茶に次ぐボケ位置ではなく、大ボケの位置だった。番組オープニングのコントは、いかりやさんが順にメンバーを呼び込むスタイルで始まるが、大ボケとして最後に登場する。彼がメンバーに加わったことで、ドリフターズのコントが全体的によりわかりやすい作りに変わっていったのではなかろうか?。まず、見るだけで笑える。

 しかし、加入当初から順調なスタートではなく、最初は苦戦していたと本に記述されている。そして、記憶にも残る活躍については以下のように記載されていた。東村山音頭が1976年3月6日。ヒゲダンスのスタートは1979年、あいにくいつの放送回からの記述はなく、不明。「カラスの勝手でしょ」が1980年。番組は違うが、「飛べ!孫悟空」という人形劇の番組が1977年10月にスタートしている。

 DVD化されている「8時だョ!全員集合」の映像を見てみた。かつて、土曜日の午後が週の中の最も好きな時間で、夜となると、毎週「8時だョ! 全員集合」を見ていた。懐かしくて、楽しい時を思い出しながら、笑えた。ショックだけど、動き回る彼の姿を見ている限りは不思議と悲しくはなかった。

(秀)