第1966話 ■1966年

 当コラムも二千話の達成に向けて、ほぼカウントダウンに入った。奇しくも号数が、西暦として馴染んだ形での数字となっている。1966年は私が生まれた年だ。1966年、もちろん記憶していることなど何もない。以前にも書いたが、私たちを一括りに表現した「~世代」なる言葉はない。むしろ私は「遅れてきた世代」と表現したことがある。学園紛争などにはもちろん間に合わず、バブルにもやや乗り遅れてしまった。

 干支は「丙午(ひのえうま)」で「丙午生まれの女は男を食う」という迷信のため、出生数が平年の二十五パーセント減だったらしい。次の丙午の年にも、この迷信は蘇るのか?。孫がちょうどその頃ではないかと、やや気になる。今に比べれば、いろいろと生活の面では不便なことも多かっただろうが、多くの人が「今日よりも明日の方がきっと良くなる」と信じている世情で、世の中がエネルギーに満ちていた。

 ビートルズがやって来て、ウルトラマンと「笑点」の放送が始まった年。そして、国内で飛行機事故が3件と多い年だった。建国記念の日(建国記念日ではない)と敬老の日、体育の日が制定されたのもこの年。その一方で、「交通戦争」と言われるほどの交通事故が社会問題として顕在化していた。この年、最も売れた歌謡曲は「骨まで愛して」、邦画ベスト1は「白い巨塔」、洋画ベスト1は「大地のうた」。中国では毛沢東による文化大革命が始まった。

 さて、先程衆議院解散のニュースが流れた。既に案内されていた通り。そんな中、国会召集冒頭の解散は4度目で、その最初は昭和41年のことだったと伝えている。1966年。12月に解散し、年を跨いでの選挙となった。そのときは、自民党が票を減らしながらも、政権を維持した。「黒い霧解散」と呼ばれた。

(秀)