第514話 ■コレクション道 後編

 <前号からの続き>

 例えば、時計のコレクションは簡単である。金さえあって、多少のうんちくが語れればコレクターになれる。技術など一切必要とされない。それに引き換え、満足な写真も撮れないのに、高価なカメラを買い集めるのはむなしい。弾けない楽器もそうである。だからと言って、金に任せて集めた時計のようなコレクションもやはりむなしい。単にモノを集めるだけなら、そのショップのオーナーにかないはしない。

 そもそも人は何故モノを集めようとするのか?、という疑問の解明から始めるのが良いだろう。最初のきっかけはコレクションの対象物である、その個体に対する魅力であったはず。それをまず手に入れる。そして、その魅力を観察しているうちに、次のものが欲しくなる。このあたりで止めることができるようであれば、趣味としてのコレクションではない。ところが、やがて、自分の集めたものに対して、価値を客観的に測ってみたいという欲求が生じ、もしこれ以上に進むとなると、それ以降は人の目を気にしてのコレクション段階に入る。

 それをコレクションと呼ぶかどうかは別として、本人が他人の目など気にせずに、面白がってモノ集めをするのは結構なことだと思う。「集めること」が目的となったコレクションはその価値基準が自己ではなく、外に求めている点でむなしい。かつて子供の頃に持っていた、つまらないものを宝物として大事にしていたような、大人には理解できない価値基準はどうして変化していったのだろうか?。結局のところ、私がたどり着いた結論は、「コレクションアイテムの価値を上回るような、価値あるコレクターなど存在しない」ということである。

(秀)