第1814話 ■読書術

 昨日に引き続き、本日も読書について。本の読み方というのを学校で習ったとすると、国語の教科書の様に、最初から順に文字を追う形で読むことを教えられる。教科書以外の物語の本も最初から文字を追って読むものとして手にする。ところがどうだろう、大人になると小説はさておき、エッセイやビジネス書へと本の種類の範囲が広がる。小説はその後の展開があるので、丁寧に読んでいくしかない。ところが、エッセイ集などになると、興味の無いテーマや書き出しで既に面白く無い話はまるごと読み飛ばし、続きを読むことができる。

 問題はビジネス書の類だ。同じカテゴリーの本をいくつか読んでみると、同じような説明をしている箇所が出てきたり、最初から知っていることの記述も数多く出てくるようになる。このような箇所を文字通りに追っていくのは時間の無駄だと思える。だから読み飛ばすのであるが、果たしてこのような読み方は正しいのだろうかと、ふと迷うことがある。あまり読み飛ばして過ぎて、一見効率的に読めたような気がするものの、振り返ってみると何が書いてあったか、いまいち覚えていない。読み飛ばしても良い箇所がそれなりに多いのならば、新たな気付きもなく、読後の印象も薄いということだろうが、それで良いのか迷うこともある。

 最近は読む本にあまり過度の期待をするのは止めることにした。自分にとって全てが新しい発見となるような本はおそらく存在しないのではなかろうか。だから、その本の中で数ヶ所でも新たな気付きがあれば良いとすることにしている。もちろん、何も得ることがなかった本というものにも出会う場合はある。本を読むことで知識を広めれば広めるほど、むしろこの可能性は高くなる。そう思うようにした。そしてそんなことが続くようなときは、気分転換に小説を読むようにしている。

 一生の間に普通の人が読む本は千冊未満だろう。ほんの数百冊かもしれない。大量に読んでもやはり限りはある。だから本屋でしばしば私は思う。今の自分にピッタリの本は果たしてどれなのだろうかと。その本屋にあるのか?、別の本屋にはあるか?、そもそもそんな本は存在しないとか?。本当に読むべき本に一発で出会えれば、これほど幸せなことはない。例えば書店で本棚を眺めてみて、ある本が輝いてくれると嬉しい。そんなコンピュータ仕掛けの書籍データと連動したメガネ(スカウターのようなもの)ができないかと、本当に思っている今日このごろ。

(秀)