第592話 ■現実感

 さて、今日も昨日の続き。沖縄に住む、感想メールの常連「莉香さん」から、米国同時多発テロによる沖縄での様子を伝えるメールが届いた。台風16号が停滞する中、この台風さえなければ嘉手納基地の戦闘機は今にも飛び立ちそうな感じで、「(嘉手納基地も)標的にされている」と思っている人も結構多いらしい。普天間基地も厳重に警備され、受信できるアメリカ人向けのテレビ放送から流れるライブ映像で緊張感も一層高まっているそうだ。

 全国放送でも国内の米国基地の様子がレポートされるが、「厳重な警戒」の様子も日頃がどうなのかを知らないし、基地の警備はそもそも厳重なものだろう、との思いから、その映像を見てもなかなかピンと来ない。沖縄(や基地周辺に住む)の人々が感じている基地の存在とそれ以外の地域に住む人々の知識としての存在とは大きく違う。街を歩く米兵を日常的に見掛けたり、そういう人々と日常的に接していたり、基地によって生計が成り立っている人々と、基地がどのくらいの広さを持っているのか?、もイメージできない私のような者とでは格段の差があるはず。

 現地に友人や知人を持つ人。マンハッタンのかの地に立ってあのビルを見上げた人、あのビルに登った人。私のようにいずれにも該当しない者とはあの事件の感じ方には格段の差があることだろう。また、政治的な背景が分かる人とそうでない人との間にも事件に対する認識の差があるはず。映画では見慣れたような光景であるため、感覚が麻痺しているとは思えないが、現実感というのはそういう実体験によって、よりリアルにあぶり出されるものだと改めて思った。

 米国では危機管理のポリシーから大統領と副大統領が同じ場所にいるようなことはまずないらしい。ましてやこのような緊急時はそうだろう。所在を伏せ、軍事施設から指揮を執る大統領に比べ(ホワイトハウスに戻ったけど)、官邸に全閣僚集まっての安全保障会議とやらを開いているようでは…、と思ったりもした。しかし、もし総理以下全閣僚が所在を伏せ、どこかに隠れて会議などしていたら、「東京が標的にされている」と、きっと日本もパニックになることだろう。そこまで意識しての官邸なのかは私には分からないけど。

(秀)